洗車場の作り方

お久しぶりです。ブライアンです。

8月に入り、ネパールは徐々に雨季が終わりかけてきました。

 

次はなにする?

次はなにをしようか?と日々アイデアを出し合って市場調査とかをしているわけですが、次は洗車事業に参入していきます。

前のブログでゆういちろうがちょっと書いてましたが、今は洗車事業を進めています。

 

どうやって始めるの?

どうやって洗車場を作るのか。という話ですが、僕たちも洗車場を作ったことないので分からない。というのが正直な所です。

こういう風に進めたほうがいいんじゃないか?という紙に書いたノートを元に全てを始めます。

僕たちの考えた段取りはこのような感じです。

 

1.どういうタイプの洗車場にするか。

洗車には大きく分け3種類あります。手洗い、門型洗車機、スプレー型洗車機です。

日本で一番よく見るのは、門型洗車機と呼ばれてるタイプで、車を入れると自動的に機械が色々洗ってくれるやつです。値段を考慮しながら選択していくことになります。

ちなみに、門型洗車機を日本から輸入して、日本のテクノロジーを取り入れる!っていうのをやりたかったのですが、予算オーバーです。洗車機は大体1台600-800万くらいします。これを輸入するとなると、1000万くらいになってしまいます。潔く諦めます。

ということで、スプレー型の洗車機を輸入することになりました。ネットで根気よく日本の洗車機を作っているメーカーに連絡を入れ、何回もミーティングを重ねて、2-3台輸入することになりました。その他にも、地下水を使うと故障の原因になるなど色々な制約があります。

 

2.場所はどのように確保するか

どの場所に洗車場を作るかというのは中々難しいです。場所を間違えたら命取りになります。

私有地を借りる形を取るのか、政府が持っている敷地を借りるのか。

カトマンズの周りにはリングロードと呼ばれる唯一の幹線道路があります。その幹線道路沿いに作りたいので、政府が持っている土地を借りて作ることになります。

 

3.どのように政府から土地を借りるのか

政府から土地を借りるとなると、そこそこ話が大きくなってきます。

Land minister(政府の土地を管轄している大臣?)と直接話しをし、土地をリースしてもらいます。

今ここで全てがストップしています。なぜならネパール政府が解散してしまったからです。首相は再度決まったのですが、各省庁の大臣がまだ決まっていません。

そのため、大臣が決まらなければどの人に話しを持っていけばいいかが分からないという状態です。話しによると9月中には決まるらしいのですが、どうなんでしょう。

大臣さえ決まってくれて、土地をリースできたらこっちのものです。日本からもうすでに決まっている洗車機や関連商品(シャンプーやワックス等)を輸入し、土地の工事を建築会社に頼むだけです。

 

あともうちょっと!というところまで来たので、とりあえず11月目安に完成したらいいなと思ってます。

一番怖いのが、洗車場を作ってみたものの、人が全く来ないということです。

でもそこまでは正直予想が全くできません。めちゃくちゃ来るかもしれないし、全く来ないかもしれない。どっちになるかは分からないけど、完成したらまた書きたいと思います。

 

インターナショナルな恋愛 -番外編-

洗車場と全く関係ないのですが、友人の恋愛事情に驚いたのでちょっとだけ書きます。

僕の仲良い友達にS君という子がいます。その子は一流の外資メーカーでマーケティングをしており、ブライアンのライバルでもあります。いつも僕は彼を意識しています。

おそらく向こうは僕のことを全く意識していません。ゴミくずだと思っている可能性すらあります。

彼にはかわいい彼女がいるのですが、彼女は海外で働いています。

では、どのようにデートをしているのか?彼女はCAという職業柄もあり、世界各国どこでも行きます。勤務地から遠い国に行った場合は数日間の滞在日があります。

その滞在日に合わせて彼は休みを取り、その国に行ってるのです。

例えば、先月は香港、今月はシンガポール、来月はオランダでデートをし、再来月はLAで彼女とデートをするそうです。

こういうスタイルがあるのか!と驚きました。本当にありきたりな意見になってしまいますが、距離は関係ないんだな。と心の底から感じた瞬間であります。

クリエイティブな方法で彼女とデートをし、楽しんでるというのは彼ならではです。

 

ということで、本当はアイスホッケー場とかについても書きたかったけれど、長くなりそうなので次回にしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Big Dhai ガネーシャ現る

こんにちは、ゆういちろうです。
早速ですがタイトルにある「Dhai」とはネパール語で「兄貴」「Bro」みたいな感じのニュアンスで、ネパールに来ると街中で聞こえてくると思います。
今回はこれから一緒に色々やることになった、そんなBig Dhai ガネーシャさんの簡単な紹介と今後何を始めるかについてざっくりとお話しようと思います。

出会い

ガネーシャさんとは、実はこちらに着いてまだ間もない時に出会っています。
僕たちの住んでいるホテルの隣にはTravelers Cafeというカフェがあります。
僕たちはそこで作業することが多いのですが、そこは友達が経営しているので、ホテルやら旅行代理店を営んでいる友達の友達が頻繁に現れるのです。
皆カフェに来てはTVでクリケットの試合を観ながら、楽しそうにベッティングをしています。
ある日、そこに彼は現れました。友達周辺は裕福な人たちが多いのですが、皆揃ってTシャツにスニーカーなどラフな格好をしています。そこに一際目立つ、ダンディズムとエレガンスを兼ね備えた、立派な装いの紳士が現れました。

それがガネーシャさんです。

 

ガネーシャMTG Start

最初は只者ではない雰囲気、絵に描いたようなThe High Roller感に近寄りがたさを感じ、話しかけられませんでした。
きっとビジネスの話も億単位からではないと興味を示してくれないのでは?、とブライアンとひそひそ話していました。

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しかし彼は周囲から「Dhai,GaneshDhai!」と呼ばれ慕われており、実際に話してみると非常に朗らかで、日本でも9年間ビジネスを営んでいたこともあるそうです。
そして、それだからか分かりませんが、めちゃくちゃ時間に正確なんです!
当たり前だろ、んなこと、と思われるかもしれませんがネパールでは人を信用する上でとても大事な要素なんです。僕たちは他にon timeで待合せに来てくれるネパール人を1人しか知りません。もう30人以上も知り合っているのですが。。(皆悪い人ではないです、むしろいい人が多いです)
僕達がホットドッグ屋の施工を依頼した大工(こいつは良い奴じゃありません)なんて最初のミーティングに1週間以上現れなかったんですから。1~2時間の遅刻じゃありませんよ?1週間の遅刻です。本当にはらわたが煮えくり返るというか、蒸発寸前でした。

 

新規事業は洗車サービス?ブルドーザー?それともアイスホッケーリンク建設?

 

さて、少し逸れてしまいましたが本題です。
ガネーシャさんとMtgを重ね、今は10個くらいのプロジェクト案が浮上しました。僕たちも驚いています。
さすがに全部一気に進めるのは無理だろ、と思いますので優先順位をつけて進められそうなものから進めて行こうと考えています。
まず一つは洗車サービス事業です。まさかネパールに来て日本の洗車機メーカーを徹底的に調べることになるとは誰が予想できたでしょうか。
すでに中国や東南アジア、インドなどでは洗車サービスがメジャーになってきておりますが、ネパールにはまだメインにそのビジネスを行っている企業はないようです、たまに自動車の修理工場などで補助的に行ってるところがあるくらいです。候補地決定、現地洗車事情の把握の為に僕たちはカトマンズのリングロードと呼ばれる、カトマンズ盆地をぐるっと囲んでいる道沿いにある修理工場を視察に行きました。
こんな感じです。

 

 

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今後は候補地決定、洗車機輸入、洗車場工事、人材確保などを順に進めて行こうかなと考えています。ネパールは未舗装の道路が多く、埃・泥もものすごいので、自動車のメンテナンス関連は、富裕層の増加と共に需要が高まってくると予想しています。
ブライアンも汚い車やバイクを見かけると「洗い甲斐あるなあの車、、」などとウズウズしているようです。


2つ目はブルドーザーリース業です。今後目覚ましい発展を遂げるであろうネパール連邦民主共和国。いずれはドバイシンガポールのように高層ビル群が立ち並ぶ南アジアの金融ハブへ、、、

 

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とは中々ならないと思います。でもさすがに道路舗装されて無さ過ぎるし汚すぎるので、ちゃんと建物建てようぜ、道ももうちょっと綺麗にしようぜって流れは来るでしょう多分。

これは僕たちが住んでいるホテルのある通りの写真です。

 

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伸びしろは計り知れないということはお分かりいただけるでしょう。
公共事業などにも力を入れ政府主導でガンガン進めて欲しいのですが、こちらの政府は尋常じゃなく腐敗しているようでネパール人は皆「あいつらは賄賂受け取ってポケットに入れてるだけで、何もしやしない」と口を揃えて言います。それに見かねたネパール人のある友達などは、道路工事を行うために署名を集め住民主体で工事を行っておりました。
彼も「この国は税金と海外からの送金で成り立っているんだ」などと嘆いておりました。まあそんな感じなんですが、こちらも途上国、新興国感溢れるビジネスだな~と思い魅力を感じてます。

さて、他にも小タイトルにあるようにアイスホッケーリンク場建設だったりちょこちょこあったりするのですが、今回はこれくらいで終わります。
次回はブライアン担当です、ではではまたお暇な時にでもお願いしまーす!


 

 

 

 

207号室

お久しぶりです、ブライアンです。
前回の更新から約2ヶ月ほど経っていることから、私が飽き性ということが垣間見えます。この2ヶ月間は忙しくもあり、暇でありました。
とりあえず前回の続きから行きましょう。

3月20日

これから自由に生活できるんだという高揚感とこれからの収入源は一体どこからになるのかという不安に包まれながらアジアの最貧国ネパールへ降り立つこととなります。

フライトが遅れ、ドライバーを4時間近く空港で待たせてしまい、夜に到着したが、やはりネパールは途上国でもかなり貧しい部類に入ることを車内からホテルまでの移動中に確信しました。
何も決まっていないが、泊まるホテルだけは決まっていました。2年前に旅行した際のネパール友達がオーナーのホテルです。そうです、207号室でした。ちなみに3月から4ヶ月が経つ今でも207号室です。

 

事業

まず何かしらの収入源を見つけなければ人間は生活できません。
この半年しか社会人として働いていない少ない貯金を元手に何ができるのか真剣に1ヶ月考えました。答えが出ました。ホットドッグ屋だと。
理由はいくつかあります。
1.外国人旅行客が多い(主にトレッカー)
2.カトマンズ観光拠点のタメル地区にはテイクアウトのファストフード店が1店舗しかない
3.その一店舗が繁盛している

僕たちは十分すぎる理由だと思いました。
マーケットリサーチはできている、需要は掴める。そう考え、立地の良いホテルの1階部分を借り、日本の友人に店舗のデザインを作ってもらい、工事業者に発注し、3週間足らずで完成しました。
ネパールにはないようなそこそこオシャレな店舗です。ちなみに、名前は「Blue&North」です。トリップアドバイザーにもあります。
ホットドッグとフレンチフライが主力商品です。外国人でこれを嫌いな人はいないだろう。確実に人は来る。そう思っていました。

 

誤算

従業員をその後3人雇いました。ほとんどのネパールの人たちは英語が話せます。

しかし僕たちが雇った従業員の3人中2人は英語が全く話せません。
英語が話せない従業員を掴まされてしまいました。これは誤算でしたが、一人話せるからまあいいだろうと思い、雇いました。彼女の名前はスニータです。
そして、ホットドッグやフレンチフライを作る手順を教えて、ついにオープンです。
ソーセージは注文が入ってから焼くように3人に手順を教え、僕は外出しました。
20分後くらいに帰って来ると、英語が話せるスニータを中心に、3人がかりでソーセージを何十本も焼いています.お客さんは一人もいません。
これがミスコミュニケーションというやつです。初日から大きなロスです。
1からもう一度教え、売上はコーラ1本のみで初日が終わりました。
まだ初日だ、焦ることはない。焦ることはないだろうけど、バンズは40個注文し、ソーセージは300本以上注文してしまいました。僕たちの計算では、1日60個売れる計算だったので、5日でソーセージはなくなる予定なので大丈夫です。
もうかれこれオープンから2ヶ月経ち、今現在7月23日ですが、まだソーセージは残っています。完全なる誤算です。

 

新たなる希望

しかし、今はオフシーズンで毎日雨という状況を考えれば、9月からのオンシーズンには人が入るだろうと僕たちは考えています。

しかし、このまま待っているだけでは、状況は好転しません。
何か新しい事業を始めなければいけない。常に歩き続けなければいけない。
その時僕たちのネパールの友人の友人が声をかけてきてくれました。
彼の名はガネーシャ。彼と一緒に事業をすることになったのです。

次回『Big Dhai ガネーシャ現る』

ゆるーく更新しますのでよろしくです。

相方のゆういちろうです。

こんにちは、ブライアンの相方のゆういちろうです。

今回は私のターンということで、彼と同じように大学卒業後〜2016/3/10に至るまでの経緯を私の視点から書かせていただきます。

 

大学卒業〜入社

私もブライアンと同じく、大学在学中は海外旅行くらいしかしてませんでした。

サークルも入っていませんでしたし、本当に隙を見つけては空港に向かい出国し、そのまま2-3ヶ月いろんな所をブラブラする学生生活でした。多分途上国とかの雰囲気が好きなんです。

そんな私も就活を細々と行い、入社先を決め大学を4年半で卒業しました。

私もとりあえず3年という誰が言い出したのかは知らないけれど、社会人の鉄の掟となっている「3年ルール」におとなしく従い、3年くらいは働いてみようかとぼんやり考えていたんですが、結局、11ヶ月で退社してしまいました。

 

社会人生活

本当に短い間しか経験していないので大して書く事はないんですが、私もブライアンと同じく東京の外資系企業で勤務していました。やはり何の縁かは分からないのですが、インド系のIT企業でした。

入社した理由は、偶然アプライしてタイミング良く入れてもらえたのでと言えばそれまでなのですが、強いて言えば「インド」、「IT」、「多分東京勤務」など何となく面白そうで自分にとって都合のいい言葉が並んでいたので決めちゃいました、そんなもんです。

そして実際どんなもんだったかちょっと分かりやすくお伝えするために、1つエピソードを書きます。エピソード1と書いてありますが多分2はないです。今後ネタが尽きてしまったら思い出してひねり出します。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜エピソード1「配属」〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

5ヶ月の研修を終え(4ヶ月の日本での技術研修+1ヶ月のインド研修)、昨年の9月に配属が決まりました。当初は更なる技術研修の為、インドに5ヶ月間行く予定だったんですが、急遽そのお話がおじゃんになり(プロジェクトの人材要求が弱まった、というかなくなったと人事からは説明されました。大人の事情です。)、完全に配属が宙に浮いたまま2〜3週間が過ぎました。

そして9月末のちょうど残暑も終わりに近づき、気持ちよく晴れたある日の午後、インド人の上司から電話で呼び出されこう告げられました。

 

 

 

「Can you go to SHIGA from tomorrow?」

 

 

 

何を馬鹿なことを言っているんだお前はと。それがその瞬間の私の正直な感想です。

『私は君に「明日から丸の内のクライアント先に常駐してくれないか?」と、唐突だがある程度フェアな提案をしている』みたいな言い方で話すのを止めなさいお前はと。

ちょっと面食らいすぎて思考が20秒くらい停止してしまいました。

そして以下が私の英語がもう少し流暢で、私が強引かつ失礼とも取れる提案に即座にNOと言える非日本人的な精神力の持ち主だったら言いたかったことです。

 

WTF are you talking about? WHY SHIGA! WHY TOMORROW!!! I believe you don’t even know where SHIGA is, that’s why you could tell me that without any hesitation」

 

しかし実際に、私の口をついて出たのは「,,,Ok, that’s fine. But until when should I work there? And when can I come back to Tokyo?」でした。

完敗です。

交渉の主導権を握るには、相手が予期せぬタイミングで全くアンフェアな提案をする強引さ、図太さも必要だと私はインド人社員の方々から学びました。

 

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MTG in EbisuFlight to Bangkok

まあそんなこんなで思わぬ滋賀長期出張に行くことになり、結局2ヶ月で東京に帰還を果たしたんですが、その間に自分の中で今後の方向性が定まりました。退社の方向でと。退社の理由はブライアンと大体同じで、ITにあまり、というかほとんど興味なかったんです。

それを自覚し、確信したのは入社3ヶ月後くらいです。が、今後どうしようか考えたところ転職したいわけじゃないな〜と思い悶々とし、夏にインド研修、9月に配属決定などイベントが連続し中々決断出来ぬまま、無期限滋賀出張という不可解な判決、いや配属を言い渡されました。

10月の2週目を過ぎた頃、ちょっとブライアンに3年後の約束(参照;Title:なんでこうなってしまったのか Date:2016-4-28 Link: http://blue-north.hatenablog.com/entry/2016/04/28/202631)について3年は長過ぎるからもっと巻きでいこうと提案しようと考えていた矢先、彼から電話がありました。それは一緒に何か面白いビジネスを始めようという約束についてでした。もう始めようという提案に私は渾身のガッツポーズでした。

そうして私が出張の諸手続きの為東京に一時帰還している土日に恵比寿のサンマルクでミーティングを行いました。あの角にあるやつです。

とりあえずタイ行きの片道航空券を購入し、互いの意志が固いことを確認し、ミーティング後にガッチリ握手をしました。

そして2月に退社し、3月からどこか途上国でビジネスを始めることだけを約束し別れました。男の約束です。

その10日後に彼は勢い余って退社してしまったんですが。

10月から翌年の3月までは省略しますが、私は計画通り2月に会社を退社し、3月10日バンコク行きの飛行機に乗り込み、日本にしばしの別れを告げ、現在に至ります。

 

次回のタイトルは、「207号室」でブライアンが担当します。

不定期に更新していくのでお暇な時間にでもよろしくお願いします〜

 

 

なんでこうなってしまったのか

なぜくっせぇ水を浴びながら、ホットドッグを作ることになってしまったのか。

その経緯と今後についてこのブログでは書いていこうと思います。

 

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そもそも私は誰なのか?

在学中は旅行にはまり、長期休みになるとバックパックの日々です。50ヶ国を超えたあたりから国数をカウントするのを辞めました。

都内の大学を卒業し、その後誰もが憧れる丸の内の一流外資系の企業で働いていました。

3年は働こうと思っていたが、気付けば半年で辞め、そこから2ヶ月間ニートになり、大学時代にアルバイトをしていた飲食店でまたバイトを始めました。

いわゆる脱力系男子というやつです。名前はブライアン(仮)です。(勘が鋭い人は、あのアメリカのアニメの犬か!と気付くでしょう)

 

社会人生活はどうだったか?

最初の2ヶ月は刺激的な毎日を送っていました。金融関係だったが、知らないことを勉強できるし、オフィスは外資系なだけに半端なくカッコいい。

先輩や上司は輝いて見える。f:id:blue_north:20160428231308j:plain

右手にはスタバのコーヒー、左手にはWall Street Journal を持ち出社し、カッコいいオフィスに入ったら外国人の上司と小粋なジョークを朝から交わし、仕事がスタートする。

というのを想像していました。実際はどうなのか?結構これに近かったです雰囲気は。

でもこんなカッコいいシーンも1ヶ月もすれば日常になり、飽きてきていました。

私は飽きっぽい性格です。

 

半年後には…

トレーニングが終わり、実際の業務が始まり、新入社員の中でも人一倍仕事が遅い僕はなかなか仕事を覚えることができなかったです。というか、興味のない金融の知識を勉強する気がなくなってしまいました。

毎朝電車で通勤している時に、「これでいいのだろうか?」と自問するようになり、その数日後に「すみませんが、今日で退社します」と伝え、家に帰って来たのは10月終わりでした。

誰にも相談せずに辞めたが、今考えると、相談してもしなくても方向は決まっていたのだと思います。ちょっとばかり予定が早まっただけ。

 

友人との約束を果たす

僕は入社する前に、大学の友人と旅行関連のC to Cプラットフォームのビジネスプランを作っていました。カフェで話し合いなどをしていくうちに、「これをやりたい!」と初めて思った瞬間でした。しかし、就職活動が始まり、その不安に駆られ、就職という道を選びましたが、「友人と3年後にお金を貯めて、また面白いことをやろう」と約束をしました。

その友人に電話をし、「一緒に面白いことをやろう」と伝えたところ、「俺も早く始めたい。会社辞めるわ。」との返答が来て、こいつの判断能力は尋常ではない。と感じたのを今でも覚えています。彼に名前をつけるとしたら、「ソク・ハンダン」がピッタリでしょう。

そんなこんなで、結構早い段階で、友人との約束を果たすことになります。

その際、なにをやるかについては一切話してません。なにも決まってはいないけど、なにか面白そうなことをしたい。それだけは一緒でした。

 

タイ行きの片道航空券

二人とも旅行が大好きで、海外が好きなことから、海外で事業をやるのはどうだと話が進む。どの領域に進むのかは候補をいくつか挙げて、現地で見てから決めようと。

実際に自分の目で見て決めたいという気持ちは二人とも非常に強かったから、逆にそこまで全てを決めることはしませんでした。

そして3月10日のタイの片道航空券をすぐに二人とも取り、それまではお金を貯めたり、アイデアを出す時間にしました。アイデアを出す際に、こんなにポストイットが使えるのか!と初めて思った瞬間でもあります。

 

3月10日

在学中からかなりの頻度で海外へ行っていたので、自分自身は抵抗がないし、いつでも帰って来れるのは分かっているけど、「もう一生帰ってこないんだ…」みたいな目で友人からは見送られました。逆に帰って来にくい状況になってしまったと。

すぐに帰国になった場合は「恥ずかしながら帰って来ました!」と全力でふざけるしかないと。このような状況で日本を出ました。

 

日本を出た日から、「くっせぇ水を浴びながら、ホットドッグを作るまで」は多くの時間はかかりませんでした。

これからちょこちょこ不定期で更新をしていきます。

 

あ、そういえば、わたくしブライアンと相方が交互にこのブログを更新していきますので、よろしくです。